カテゴリー: TAROの日記
【TAROの日記】

2012/05/15(火) 08:46

不思議な楽観

今日から、合宿セミナーのために軽井沢入り。
来週も全部東京だから、今月は新潟にほとんどいられない。

昨年の3月11日を思い出す。
あの時も、軽井沢でセミナーをやっていた。
日本は、あの時を境に本当に変わってしまったんだな〜と感慨深く思う。

同時に、街などの定点観測をしていると、テレビなどの悲観的な報道とは次元の違う
厚くて深い日本人のパワーみたいなものを感じる。

10年前と比べてみてもいい。
例えば、渋谷の街や新幹線の車両あたりを比べるので十分だ。
何かが違うはずだ。

それを考えると、何が起きているのだろう?と思う。
過去の日本人の作った構造に乗っかってるだけなのか?
それとも、新しい動きのなのか?
全然、そんなことと違う何かが起きているのか?

ただ、感じるのは悪い方向にはないという感じ。
むしろ、良き方向。
まだ、観察を続けるしかないけど、自分の中に不思議な楽観が芽生えている。

政治はサイテーだし、大企業もダメなのに、なぜかな−?

追記
明日より来週末まで、再び、ブログは沈黙します。

【TAROの日記】

2012/05/14(月) 07:54

睡眠預金2

自分でも「おかしいな−」と思いつつ、”休眠口座”を”睡眠預金”などと書いていた。
最早、サラリーマン時代は遠いのだな〜と思った。
そういえば、最近は、実務がないので、手形や小切手の知識、金融法務などの知識もあやふやである。

昨日の出張帰りに新幹線の中で、サラリーマン時代に働いた部署のことを思い出していたのだけど、働いていた部署の記憶があまりない。
「オレって、どこで働いていたのだ?」と思いつつ、意外な人のことを思い出したりもして、人の記憶というのは、筋道立てて思い出すことができないことをあらためて痛感する。

あのオレの過去は、最早、どこにもないのだ・・・・と思いつつ、しかし、そのどこにもないものに自分のリソースがあるという・・事実に、人という存在の面白さを感じたりするのだった。
まー、人もカゲロウみたいなものなんだな。

しかし、カゲロウではないから、リソースの確認が必要だ。
あやふやなものが自分のアイデンティティの元ということは、アイデンティティなんてどうでもいい・・ということとマメに確認しなきゃいけないよ・・という2つの矛盾した狭間で、どっちでも選べるようになっている。つまり、人は、そもそもがとっても自由な存在なのだ・・ってことになっている。

ところが、人は何かすがるものがないと不安だ。
だから、過去にすがる。あやふやでも過去は過去、リソースはリソース。
まー、それも自由だから、どうでもいいけど、そこんとこの微調整が人生を決めてるのだろうなー。

“休眠口座”を”睡眠預金”と言ってしまう私のそこら辺の過去は、今の私にはどうでもいいのだ。
それでも、私のリソースだから、私のご都合主義は、そこを利用するときもある。
しかし、使えるリソース(過去)は増えるけど、使える時間は減っていく。
今は、ちょうどその均衡点なんだろうな。
そこは、十分に利用しないといけないね。

【TAROの日記】

2012/05/11(金) 08:38

睡眠預金

今頃ですが、睡眠預金を使うとか使わないという話を知る。

これって、かなりバカな話だよな。
今だって、使ってるじゃん。
銀行が買っている国債の反対側には、睡眠預金も入っているじゃないのね。
これを改めて、供出させて機関なんぞを作れば、かえってコストアップ!!

睡眠預金の益金ルールは今もあったと思うので、その定義をさらに厳粛にすればそれで終わる話が、報道されたようなお話になって物語となっていくのはどういうことなのだろうか?
日本人に、あわい埋蔵金幻想を強化させようというのかな?

なんだか、あまりにも素人臭すぎる話に、あきれることしかできない。

おそらく、日本という国は、こういうレベルの話がたーーくさん真面目に話されているんだろうね。
本当に、こわいは・・。

追記
昨日、「資本主義」という言葉と表現しましたが、正しくは「近代資本主義」という概念という方が正しかったです。
ちょっと荒っぽい書き方ですいませんでした。
なお、この件に関して、google+の方でご指導もいただきました。ありがたき生態系に感謝ですね。

【TAROの日記】

2012/05/10(木) 08:27

資本主義

「資本主義」という普通に使っている言葉は、誰の発明か?・・ということを考えてしまった。
考えても、何の意味もないけれど、こういう普通になってしまった言葉の出自は気になる質なのだ。

しかし、ネットでこういう疑問を調べようとすると、途端に暗礁に乗り上げる。
まったく手がかりがないのだ。

・・と言っても、そんな経験はいつもしているので、ネットに対する期待は最初からない。
ネットはバカの者・・みたいな本を書いた人がいるけれど、本当にその通りだと思う。
今でも、ちょっと気の利いた言葉を入れれば、検索エンジンには何も引っかからないということは普通にある。
だれもが、自分のこだわり系のことで調べ物をしようとした時に経験することだ。

では、ネットは役立たずかと言えば、いくらかの方向性を示してくれたりすることもある。
ネットだけでは何もできないけれど、補完的役割は大きい。
まー、そんなことは当たり前のことだろう。

しかし、私が、「資本主義という言葉の出自は何?」とSNSなどで問いかけると事情は変わる。
知っている人が答えてくれる可能性が出てくる。

ただし、アメリカか何かの雑誌で、twitterは、世界の人とつながる道具ではなく、近所の人とのつながりを強化する道具だ・・という記事があったように、「私は、誰とつながっているか?」というのが重要になってくる。
言葉を変えれば、「私は、どういうコミュニティーに所属しているか?」というお話である。

ネットワーク理論では、6人で誰でもつながることができる・・となっているけれど、その6人つながりのパワーを日常で使うことはできないから、私たちの現実的なネットワークの階層はそれほど深くはない。

結局、何であろうと、私の生態系・・というのが問われるのだった。

ところで、資本主義。
私の調べでは、1902年に行き着く。
ヴェルナーの著書『近代資本主義』である。

マルクスが「共産党宣言」をしてから54年も経っている。
産業革命からは数えたら遠い未来である。
「資本主義」という言葉は意外に新しい・・・のか?

さて、私がこのことをつぶやくことで、答えが得られるような生態系にいるかどうかはわからない。
そのうち、何かの方法で答えが出る・・という変な確信があるから、それはどっちでもいいと思っている。

ただ、資本主義という言葉は、おそらく、それほど古い言葉ではなく、ある種のでっちあげなのだとは思う。
こういう言葉は便利だが、大事な本質を見逃している可能性が大きいという予感もある。
そんな匂いをかぎ取れれば、作業としては十分なのかもしれない・・。

こんなことも、ヒュイ!とネットで嗅ぎ取れたら楽しいんだけどな・・。

【TAROの日記】

2012/05/09(水) 08:38

生態系

私が、私だけだったら、私は私ではない・・などということを朝から考えてしまった。

あいにく、世の中は、私だけではない。
だから、考えてしまったことは空論だ。

しかし、そんな空論をしてみると、私というものが”自我”だというのは勘違いで、一つの生態系なのだということに気づく。

私は、私という生態系なので、妻とか子供とか部下とか友人とか・・・・いろいろなものが含まれて私なのだ。
そして、その生態系は、開放系だから、いずでも要素の入れ替えが可能で、生態系の中心である私でさえ入れ替わっている。

ところが、その中心である私は閉鎖系だ。
だから、入れ替わりを拒否する。
一部では、この入れ替わり拒否の私を”自我”と呼んでいたりもする。

「世の中は、私の鏡」という考えは世間でよく聞くお話だ。
通常、それを説明しようとすれば、投影あたりが持ち出されることになる。そして、それは、ど真ん中に正しい。
さらに、ツキトゥドゥスあたりを引用すれば、それで十分納得が可能だ。
そこに、私という生態系という考えを持ち込んでみると、もっと納得度が増すと思う。

私の大好きな状況や大嫌いな状況、大嫌いな人物も私の生態系だ。
そして、生態系の要素の入れ替えは可能だ。
生態系は開放系だから、”自我”という勘違いがない限り、可能性も柔軟だ(無限ではない)。

調子が悪いという感覚は、この開放系の閉鎖を意味する。
“自我”と言われるものは、病なのだ。

あくまでも、私は私だ。
こんなことを書いている私は、「忘我」とか「無私」という言葉が嫌いである。
坊主が坊主らしいことを言うのは、正しいと思うが、一般人が坊主みたいなことを言っているのが嫌いである(こうした感情を、自分を棚に上げる・・という)。
あくまでも、大きな”自我”っていうことで、開放系の自我を考えている。

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