【TAROの日記】

2017/03/03(金) 08:54

追悼、かまやつひろし

かまやつひろし、という名前ですぐに浮かぶのは『四つ葉のクローバー』。 確かAmではじまった曲だったと思う。そして、小学生の私がほぼ弾けないギターをナントカカントカ弾いた初期の曲でもある。

その後、彼の姿をはじめて見た。中学一年生の時。テレビで拓郎と『シンシア』を歌っていた。拓郎の作曲だったと思う。良い曲だと思った。そして、私がフォークというジャンルに触れた最後の時でもあったように記憶する。すでに、この頃はツェッペリンやELPに夢中だった私には、少し違う世界の景色に思えた。

だから、彼の個人名の代表曲『我が良き友よ』という曲はあまり知らない。聞いたことはあるけれど、ずいぶん私のイメージする彼とは違っていた。そこには『四つ葉のクローバー』はなかった。

彼がスパイダースの重要メンバーだとか、いろんなことを知ったのは、社会人になってから。スパイダースの初期作を聞いて驚いたのなんて、最近のことのように思う。

私にとって、かまやつひろしはちょっと不思議な存在だった。それはミッキー・カーチスにも感じるのだけど、私が強烈に音楽に興味を持った超初期に、彼らの名前は購入したレコードにクレジットされていた。そして、名前だけが私の中で独り歩き。よくわからないけど、私の中ですごい人と刻印された。

スパイダースの初期に接することができなかった私は、彼の聞き手とは言えない。でも、やっぱり彼は特別な人だ。そして、『四つ葉のクローバー』も。

単純な曲である。1970年代初期の匂いプンプン。今日は酒飲みながら、何十年ぶりに歌ってみよう(おそらく、そのまま懐メロ大会だな・・)。

 

【TAROの日記】

2017/03/02(木) 08:50

わからない・・がわからない

このブログは、非公開の英語版ページがある。

英語版は、ご丁寧に添削してもらっているけれど、直してはいない。時間がないので、間違いだらけのままである。いつか公開しようとは思っているけれど、当分、公開は不能だろう。

さらに、面白い問題も起きている。例えば、一昨日の「バルタン星人引退」というオカモト家にとって記念的なお話は、添削不能らしい。前提が書かれていないせいもあるけれど、日本人じゃない人には、何を言っているのさっぱりわからないそうだ。

どこがわからないのか? 全然わからない。でも、わからないと言われればそれ以上突っ込みようもない。

逆に、私もわからないことがよくある。そして、次のように言うことがよくある。「I can understand your all words, but I can’t understand what you want to say」

これ失礼な言い方の可能性もあるが、まー、レッスンなんで許してちょ!である(・・とは言ったことなかったな・・)。

今日も困った。「おまえ、お客さんと会ってる時、どういうことするの?」みたいな質問。こんなこと言われても、どう答えればいいかわからない。何が聞きたいんだい?って感じである。「話をする」とでも言っておけばいいんだろうか?

だいたい、目の前の人がおじさんで、英語だから成立しているけど、これが若いおねーちゃんだったら、「おまえ、何聞いてるんだよ!話をするに決まってるじゃんか」と言うのは間違いないと思う。

この手の話をすると、英語に詳しい人は「挨拶だから」というのだけど、私にはその挨拶のニュアンスがわからない。おはよー、元気!!って言い合った後に、何でまだダラダラと挨拶をせねばならぬのだ。

文化的背景の差というのは、めんどくさいなーと思いつつ、ほぼ単一民族に近い世界で生きている私たち日本人には、どうにも埋められないものがあるんだなーと思っている。バルタン星人の話なんて細かく説明したらツマラナイ話だもんね(そもそもがツマラナイ話かもしれないけれど・・)

【TAROの日記】

2017/02/28(火) 09:03

バルタン星人の仕事が終わる

バルタン星人の引退の時が来た。

我が家で徴税業務をはじめて約16年。最近は、徴税業務もお休みに近く埃をかぶっていた。そして、ついに正式の引退である。フォフォフォフォ・・・と言いながら徴税を続けたわけだが、子どもたちが一人二人と家を去り、最後の一人が旅立つことになった。これにて納税義務者はいない。お役目終了である。

来月、家族5人で旨い寿司を食べることになっている。もちろん、バルタン星人の奢りだ。彼がどれくらいの金持ちかはわからないが、東京の高級寿司くらいは楽勝だろう。

一旦引退のバルタン星人だが、きっと誰かが引き継ぐことだろう。思いつきではじめた遊びだが、一族の風習になっていくかもしれない。さて、誰が手を上げて引き継いでくれるかな?

【TAROの日記】

2017/02/22(水) 09:05

acting

一昨日、次のように書いた。

偉い奴なんて、この世にいない。いるのは、偉そうな奴だけである。

これを英語にしてみた。There is no great man. A man just “acting big” exists.(添削してもらったら、justの位置が変わったが、理由がよくわからない・・)

「偉い」と「偉そう」が、「great」と「acting big」になる。前者は、どっちも”being”だけど、後者は言葉のニュアンスが違う。

ただ、英語の表現の方が本質をついている感じがする。「・・・みたい」というのは、”doing”の結果みたいなものだから・・。

そんなことに気づいたら、いろんな形容詞を動詞で見ると面白いことに気づいた。単純な例を上げれば、「かわいげ」というのは、「ぶりっ子」という言葉もあるように、「acting pretty」になる。

こんな感じで、いろいろな景色を動詞にしていったら、なんてことはない。あらゆるものは「acting」であると了解する。

私の毎日は、「acting a boss」で「acting a husband」で「acting a little intellectual」・・・・・・・という状況。実のところは何もない。

でも、やっぱりある。人が無防備に出す「ワタシ」の瞬間はある。そして、その出現の発露が大好きだ。

【TAROの日記】

2017/02/20(月) 08:46

It’s not proper to jump to conclusions

英語の”お勉強”をしていると、タイトルのような言葉がよく出てくる。

ビジネス書やインターネットなどで氾濫する”偉そうな言葉”は、英語の”お勉強”でも定番の”お言葉”なのだ。

メルマを書いている身としては、気をつけなくてはならないところだ。ちょっと気を抜くと、こういう”お言葉”が出てしまう。もちろん、日常でも同じ。少し偉そうな態度が出てきちゃうと、ステレオタイプでこういう言葉を使いそうになる。そのため、偉そうにならないのが生きていく上での大事な”了見”だと思っている。

偉い奴なんて、この世にいない。いるのは、偉そうな奴だけである。そして、おそらく、偉いお言葉なんてものもない。”偉そうな言葉”だけがある。

しかし、語るのは人。時には、平凡な言葉が、とんでもない力を持つことがある。

それはそれとして、英語の”お勉強”は続く。変なビジネス書を読むよりもいいかも?

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