【TAROの日記】

2017/04/11(火) 08:50

匂い(感じ?)

この間、外でウロウロしていたら懐かしい匂い(感じ?)がした。懐かしいのはわかるのだけど、その正体はわからない。そして、私の心の中の「待って!」をよそにその匂い(感じ?)は消えていった。

昨日の帰路、ソレが再びやってきた。今度は、ソレが何かすぐにわかった。大学を卒業して社会に出た頃の匂い(感じ?)である。そして思った。「そうか、春だ・・」

どうして、そんな懐かしい感じがやってきたのかはわからない。今となっては遠い記憶なのだけど、今そこにあるかのように佇んでいる。今にも若い頃の青い自分が飛び出してきてなにやらわけのわからないことをやり出しそうな危険な臭いまでしてきた。

考えてみれば、若い頃の私は驚くほどにわけがわからなかった。おそらく周りの人も扱いに苦労したと思う。それが、どこでツジツマがあってきたのか?それはそれは不思議だ。もちろん、今もツジツマなんてあってはいないとは思うけれど、ここまで仕事をしつづけてきたのだから、ある程度の折り合いは付けてきたってことだろう。

一つ言えることは、統計では生きてこなかった・・ということが重要な感じがする。若い頃に勉強しているから統計に詳しいけれど、その統計の結果に「否!」っていつも言ってきた。それこそが人間の仕事だと思ってたようで、統計に反逆するのが好きだった。そして、それは結果的に、いろいろと裏を書く・・ということになって今に至っている。

世界は、冷たい統計屋が支配する時代に入る。今日の日経新聞1面でも連載記事がはじまった。それを見て、私の中の反逆児が言う。「つまらんなー」

おそらく、世界は、新聞や雑誌が予測するような世界にはまったくならない。あの頃の匂いを言語化すると、そういうものだったように思う。

【TAROの日記】

2017/04/10(月) 09:04

かけすぎる会

通勤の車でFMを聞くというのは、久しくやっていなかった。ところが、車の修理時に、車屋さんが入れたらしい。最近、FMを聞きながら運転をしている。

山下達郎の番組が昔のままのテイストでやっているのに喜んだり、福山雅治の番組がつまらなくてチャンネルを変えたり、尾崎豊のことは全然知らないが、その息子が尾崎の歌を歌っているという話を聞いて、つまらん奴だなーって思ったり、でも、ザッパの息子だと許せたり、湯川トーベンの娘のしゃべり方がいいなーって思ったりしている(新譜も新境地だと思った)。

ところで、今朝は、スガシカオが、「かけすぎる会」(って名前だったかなー?)というのをやっているとかナントカカントカ・・って話題に反応してしまった。吉野家では、紅しょうがをどんぶりに大量に載せることにしている私は、吉野家の紅しょうが用のトングが小さいことに腹を立てている一人(と言っても一年に1回か2回しか行かないけど・・)。「かけすぎる」というのは、そういうような行いの事のようで、ラーメンにゴマを大量にかけるとか寿司屋でガリを大量に食べる・・などの行為が紹介されていた。

会合があるのかどうかわからないが、どういう活動するんだろー?

【TAROの日記】

2017/04/04(火) 08:54

つもり

ギタリストのJulian Lageのyoutubeの映像を見た。その映像で彼は言っている。「自分のCDの音を聞くのが嫌だ・・」

「えー、あんたみたいな凄腕のプロでもそうなのー」である。自分の音はダイナミックスがまだまだ。だから音が平坦。とても満足のいくものではない・・ということらしい。

ダイナミックスって鬼門だ。私のような下手がどんなに意識してやっても、録音した音はとても平坦だ。録音機が冗談をやっているのではないかと疑うくらいに、一生懸命にやったことの成果は、録音機のスピーカからは微塵もアウトプットされない。

でも、超絶プロも同様のことを言っている。次元は違うと言えども、同じってことではないか!

自分ではやっている”つもり”。でも、できていない・・というのは悲劇だ。そして、できていないことに気づいていなければもっと悲劇だ。自分の”つもり”って、どれくらい現実になっているんだろう?そんな疑問を持つと、大げさ抜きで手が震える。人生なんて、勘違いしていなきゃ生きていけないとは思うけど、それも程度。・・とは言っても、録音して確認する以外に手がない。ただ、楽器演奏やスポーツは別として録音、録画なんてできないから、本当に困った話である。

【TAROの日記】

2017/04/03(月) 08:48

話さない一日

土曜日。誰とも話をしなかった・・ってことに気づいた。

週末の二日間、家で一人ぼっちだったので、結構いろいろなことができた。仕事はもちろん、ギターも長時間弾いた。ライブのためのエフェクト選びや音選びにもたっぷり時間が使えた。英語の勉強もそれなりにした。

・・とやりたいことに集中していたら、人と会うことがまったくなかった。家を出たのは、ポケモンしに行ったときだけ・・。

一度はじめると長く続ける私の特性は、ポケモンGOでも発揮されている。実は、やめたいんだけど、次々小さな目標ができてしまって、やめられないでいる。今も2500CP程度のポケモンを3匹所有してる程度の弱小だけど、ジムには、常時、3~5のポケモンを置いていて、コインもそれなりに稼いでいる。弱者の戦略がどうにも好きで、癖になっちゃっているらしい・・。

おそらく、私は1週間くらい一人で遊んでいても大丈夫そうだ。しかし、2週間目に入ると、どうなるのか・・? それが現実に来るような頃には、仕事がなくなっているだろうし、ちょっと不安だ。

一応、土曜日は、生まれて初めて24時間以上話すことのない日になった。そういう日って、ありそうでなかったことにはびっくりしつつ、一人は便利でいいところもあるけど、やっぱり嫌だなーって月並みに思った。

【TAROの日記】

2017/03/31(金) 08:55

meet VS find

英語の表現には、素敵なものがたくさんある。それで好きになりかけている(今だに好きではない)。

昨日、ブログに書いた「音楽に出会う」という表現を英語でも”meet music”としたら、”find music”に直されてしまった。んーーー、findだとちょっと違うんだよなー。

“It’s a piece of cake”なんて表現があるのに(ちなみに、「おちゃのこさいさい」って意味です。どっか通じてますよね)、”meet music”がないのはどうなの?

私は、贔屓にしている楽器屋のおじさん@京都に、「岡本さんは、ギター運のある人ですね」と言われたことがある。これは最大の褒め言葉だと思う。この言葉の裏には、楽器に選ばれている・・という気分もあって、正に「出会い」なのだ。

音楽もそうだと思う。私は、子供の頃から流行歌に疎い。全然知らない。同じ日本に住んでいても、世間の誰もが知っていても、知らぬものは知らぬのだ。ただ、自分でも自分のフィルターのチューニングの異様さには気づきつつも、これは私のフィルターだけの問題ではないと思っている。あっちがこっちを嫌っているのだ・・。そうなのだ!

逆に、「どうして、こんな音楽知ってるんですか?」と聞かれることがよくある。しかし、この問いにちゃんと答えられたことはない。だって、あっちが勝手にやってくるのだから。

どう考えたって、”find”じゃないんだよ!

人も道具も芸術も、全部、出会いで、それはこっちが探すだけでは出会えなくて、あっちがわの差配がとてもデカイのだ。だから、音楽を聞くこととは、その音楽に愛されていることだと思う。そして、もっともっと素敵な音楽にたくさん愛されたいって思うのだよ。

追伸

findに「出会う」という意味が隠れている可能性はあって、そこんとこは英語好きではない一般日本人にはわからないし、調べる気もないってとこが問題の可能性もある。その場合はごめんね。

 

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