カテゴリー: 苦しめTAROお仕事LIVE
【苦しめTAROお仕事LIVE】

2017/01/04(水) 08:34

雪が降らぬことと祈りつつ、また新年・・

あけましておめでとうございます。・・と書いてはじめねばならぬ慣習に少し辟易しつつ・・・・、
あれ?
でも、「あけましておめでとうございます」という言葉を今年はまだ口にしていなかった・・ということに気づいた。
「昨年もお世話になりました」系は言ってたけど、「「あけましておめでとうございます」は言ってないな・・。
潜在的に、おめでたくはないことが意識されているのかも・・?

だいたい、私はこの日(いわゆる、仕事始め)が来るのを恐れていた。
今年ほど、土日が重なったことを恨めしく思ったこともない。
ほぼほぼ、ゆっくりもできぬまま、休みは終わり。
後は、山のような仕事のノルマをこなすだけ・・・・・・。

暮に、大きな意思決定をした。
その後始末で今月はさらに忙しい。
そして、そのために、いろいろと出かけなくてはならないので、雪は降ってほしくない。
もう、祈るしかないけれど、雪だけはご勘弁である。

さて、洗面器にはなみなみと水が入っているようなので、顔を入れますか・・。
潜水~。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2016/12/29(木) 11:59

年末のまとめ③みたいな文書だ・・。当然、明日は続かない。

本日は、恒例、『年末放談』
そして、1月3日までお休みだ。

『年末放談』はいつからはじめたのか忘れた。
今考えると、妙なことをはじめたものである。
どうして、こんなのことをはじめたのかは、まったく記憶にない。
最初は、セカンドライフのバーチャル空間でやっていたらか、単にバーチャル空間で遊びたかったからかもしれない(おそらく、そうだろう)。

今年は、昨年までの『ニコニコ動画』から『youtube』に移動。
ニコニコのように画面に言葉が流れないのは寂しいけれど、チャット機能はあるあるらしいので、ご自由にご利用下さい。

そういうわけで、大した理由もなくはじめた『年末放談』だが、スタッフが準備をはじめると、事務所全体に年末らしい空気が急に流れはじめる。
そして、適当とはいうものの、開始数分前には、緊張感が走る。

はじまってみると、あっという間。
いつも時間オーバを謝り、最後に、「今年もありがとうございました・・」と画面の向こうのみなさまにご挨拶をする。
そして、なんとも言えない感謝の気持ちがこみ上げてくる。

そういうわけで、いつのまにか大事な儀式になっていたりする。

世の中には、物語論を滔々と語る人たちがいる。
気持ちはわかる。人は、物語に弱い。
いやいや、言い方を変えよう。弱い人間は物語が好きだ。だから、物語の利用は有効だ(強い人間なんていないからね・・)

私は物語が嫌いだ。
これも言い方を変えよう。私は物語に用心している。
だから、物語を語る人を信用しない。
私にとって、世界は詐欺師だらけ・・ということになる。

儀式は好きだ。とても信用している。
儀式の中にも物語は発見できる。儀式から物語を語ることも可能だ。
しかし、その物語は、脱物語の装置である。

ところで、昨日、歴史を刻むことについて書いた。
歴史は物語ではないのか・・?という疑問が浮かぶ。
もちろん、歴史は語れば物語だ。ただし、短編小説(エッセイに近い)の集まり。
学者は、歴史を大きな物語として語ろうとするが、それは病のように思える。弱い人間が物語を好むことに通じる不安の裏返しを感じる。

私たちにできることは、短編小説と脱物語。
壮大な物語など幻想である。
そして、私がもっとも拒否したいものはそこにある。

冒険して、歴史を刻んで、脱物語する・・。
そんなホップ・ステップ・ジャンプを来年以降もやれたらいいと思う。

みなさま、今年も大変お世話になりました。
個人ごとですが、年を重ねれば重ねるほどに、何もかもが面白くなってきています。
そして、55歳になった今、さらに面白くなりそうな状況に歓喜しつつ、それに反して時間の経過の速さに嘆き、身体の衰えに天を仰いでいます。まー、世の中、ままならないものです。きっと、それでいい。だから、さらに面白いのだと思います。
来年もよろしくお願いいたします。

【TAROの日記】

2016/12/28(水) 08:32

年末のまとめ②みたいな文書だ・・。明日も続くのか?

昨日は、今年最後の『まーけ塾』だった。

『まーけ塾』も16年。
時期によって参加者(って言うか、どちらかと言うと”メンバー”という表現の方が正しい)は微妙に変わってきたけれど、16年前からのメンバーも今でもいる。まー、長くなった。
最近は、東京、名古屋、北海道、、長野、新潟、地元の人たちで定着している感じだ。そして、この1年は参加者が多かった。新幹線が開通したせいもあるだろうけど、北海道から毎月来るような人も現れて、それなりの空気の変換が起きたのかもしれない。

逆に、過去には、開始時間までだれも来ない・・とか、参加者一人なんて時もあった。
開始時間までに誰も来なかった時は、これ幸い・・と帰ろうとしたけれど、一人現れて、仕方がないので決行。終わりの頃にはそれなりの数になっていた。

参加者一人の時は面白かった。一人しかいないから自ずと世間話的に進む(いつもそうだけど、それ以上に・・)。そして、その一人の人が居場所がなさそうで困った顔をしているのが面白くて、調子がどんどん出てきたのを覚えている。残念ながら、この時も、終わり頃にはそれなりの人数になっていて、普通のペースに戻ってしまったけれど、あのまま一人相手にやってたら、面白かったと思う。

こんな思い出話を書いているとキリがないなー。
なにせ、面白い話はいっぱいある。それをネタにしても一日やれると思う。
そういう意味では、ここにも小さな歴史がある。

いろんなことが、ボチボチとダラダラと続いている。
私の場合、はじめたもののほとんどが、そのまま恒例化していく。その恒例が積み重なっていくうちに、超多忙な人になってしまったのかもしれない。
でも、それぞれの”恒例”は時間とともに歴史を積み上げていく。
最近、そこが面白いと思えてきた。当初は気づかなかった効果だ。

ところで、歴史ってなんだろうか?
私一人の過去の人生は歴史とは言わない。
二人集まると、微妙だ。ちょっと歴史と呼べるかもしれないがどうなのか・・。
そして、通常、歴史という言葉を使うのは、ある程度の集団からだろう。

歴史は一人では刻めない。
んーー、本当にありがたいことだ。
この感謝の気持ちはどう表現したらいいのやら・・・・・・・・。
おそらく、表現方法はないな。

でも、歴史って言葉にもう少し意識的になろうと思った。
歴史って、歩んだ道とかではなくて、共闘であり共感なのだから。

【TAROの日記】

2016/12/27(火) 08:42

年末のまとめ①みたいな文書だ・・。明日も続くのか?

いやはや・・・・・・・、仕事にも嵐っていうのがあるようだ。てんてこ舞いである。
この「てんてこ舞い」って日本語は初めて字で書いたかもしれない(それなのに、言葉として知っているのがいつも謎)。
でぇ、そういう時は、面白いくらいに仕事の邪魔も入るようになっていて、我ながら笑うしかなかったりもする。

・・とは言っても年末。
誰だって忙しいはず。
そんなことを書き連ねても意味はない(でも、一言書かないと筆がはじまらないんだよなー)。

忙しすぎると言うのに、さらに今年は忘年会のような飲み会が多い。
忘年会みたいなものは避けて通っている私としては珍しい年末だ。

先週、麻布十番の和食に行った(例のミシュラン2つ星の和食ではない。あそこは酷すぎるので2度と行かない)。
店に入ると、サービスの人たちが全員おじさん。
すぐに、某マンガを思い出してしまった。
そして、落ち着いた雰囲気に、安心感が持てた・・。

が、このオヤジたち、恐ろしく仕事ができない連中だった。
・・というか、ダンディーなおじさん達なので、期待が上がってしまうからだろう、粗が目立つのだ。
人の動きを読めないオヤジに、ムッとしたりもしたが、これが若いおねーちゃんなら、できなくて当たり前。できたら感動である。

しかしだよ。60歳過ぎても、人の動きが読めないってのはどうなんだろう?
そんなに難しいことではないはずだ。

このオヤジたちを見ていて、一挙手一投足がその人の歴史なんだなーと思った。
このオヤジたちがどこでどんな仕事をしてきたのかはわからない。意外にも一部上場企業の可能性もある(案外、できない人多いからね)けれど、それなりのことしかしないで年を取ったのは間違いなだろう。

でぇ、私。
当然、私の一挙手一投足にも私の歴史が畳み込まれている。
そういう視点で自分の動きを見ると、結構面白い。

そして、
「自分は、何を拒否して、歩いてきたのか?」
そういう質問がすぐに浮かんだ。

実は、何を拒否してきたかは、自分でわかっている。
もちろん拒否だけで人生を歩めるわけはない。
私は、拒否権を大きく発動しつつ、触覚が伸びる方へ伸びる方へと動いてきた。

では、触覚は、どこに向かって伸びたのだろうか?
それは窓から見えた一つの景色。
その景色に向かって歩いてきた。
そして、これからもそうなんだろう。

ちなみに、その景色。
とても平凡だ。
しかし、子供の私にはあこがれであり夢だった。
大した高さはない。
それほどの冒険もいらない。
しかし、やり方によっては、冒険で、そのやり口が好きで、誰もそんなこと考えないと思うから、楽しかった・・。

さて、後3日である。
あの景色は、とっくに自分のものになっているはずだけど、人の欲は深い。
生きることそのものが欲になっているから始末が悪い。
でも、それが人生なんだなーと思う。
だから、今年もギリギリまで絞り込むもんね。
来年は、新年から大突貫が待ってるからなー。ふーーーーー。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2016/12/08(木) 08:34

我慢比べ

もはや、まったく年内に余裕はない。

しかし、昨年までは、こんない感じの忙しさの中に、バンド合宿も入れていた。
とても信じられないことだが、確かに2日も潰していたのだ。

昨年、「年末は無理だー」ってことになって春に伸ばしたのは大正解・・・なのかどうかはわからない。結局、春にしわ寄せがくるだけかもしれない。

まー、しかし、とにかく、今は助かった。
それは間違いない。
でも、どうしてこんなに追われているのか?
昨年とそれほど仕事量が変わった気はしないのに、何が起きているのか?

今年の夏以降の忙しさはハンパではなかった。
ポートランド・ツアーのせいとも言えるけれど、そんなことは毎年何かやっているので実は全然理由にならない。
去年なんて11月の末にバンドのライブなんかもやっている。そりゃ、異常なほどいろんなことに時間が取られていて、でもバンドの合宿はできている・・。

まー、人間なんて、やればできる・・・ってことなんだと思う。ただそれだけ。
やりたくてもやれない・・って状況のほうが嫌だよな・・。

もう何年も、やりたくないのにやっている・・が続いている。
これは幸せなことだ。
やってみれば面白いし、やっていることが面白い。
もちろん、本当に嫌なときもあるけど、それは修行。面白いばかりじゃなにかおかしい。

・・・と言いながら大きく空気を吸って、今日も水が満タンの洗面器に顔を入れる。後は、夜まで耐えるのみ。
しょせん、仕事は我慢比べみたいなものだからね・・。

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