カテゴリー: 苦しめTAROお仕事LIVE
【苦しめTAROお仕事LIVE】

2017/02/10(金) 08:56

前進・・。ご冗談でしょ!

BPM=134。1分間に134回のビート数を表す。1秒に直すと2.23回

BPM=136。1分間に136回のビート数を表す。1秒に直すと2.26回

ほぼ変わらない。しかし、この2つはまったく別の世界だ。

今仕上げている曲については135に境界線がある・・。たった1だけど、全然違うのである。そして、私は現在、134だと何とかできるけど、135では突如まったくできなくなる・・ということを体験中である。理想の速さである136は遠い彼方だ。

まー、世界とはそういうものだ・・という経験は何度もしている。だから、やるべきことを淡々とやるだけ。でも、この事実って、よーく考えてみると、とんでもないことだ。1秒間換算で0.03である。微差である。でも、世界って、実に、その微差が大きく明暗を支配している。

おそらく、このことに気づいている人は少ない。「はきものを揃える」とか「神、細部に宿る」とか・・いろんな言葉は知っているだろうけど、実はわかっていない・・という人が多い。

そこで、断絶が起こる。この件について理解している者ができることはせいぜい「はきものを揃える」「神、細部に宿る」といった気の利いた言葉を言うことくらいしかできない。だから理解されず、この根源に楔を打てない者が続出する。だいたい、理解している者もわかっているはずなのに誤る。人間だから仕方がない。

さて、今、脱兎のごとく仕事を進めている。全面戦争である。あまりにも広範囲に戦線を広げているので迷子になりそうだ。あー、それなのに、それなのに、仕事の隅々でも0.03問題が佇んでいる。

それを横目で見ながら、そして、ため息をつきながら、時には戻ったり、時にはスリ足になったりして、0.03を埋めようとする。その時間は膨大。なかなか前には進めない。でも、第一次世界大戦時のクルック将軍になってはいけない。

何ごとも、前に進まぬが肝心だ。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2017/01/31(火) 08:34

23年間

本日を持って、一つの仕事に終止符を打つこととした。
22年と11ヶ月。ほぼ23年。

ふっと浮かぶのは、当時住んでいた借家の2階から机を降ろして事務所に運んだ景色。

今は、もうその机はない。
借家も今は住んではいない。
事務所も引っ越しをした。
本当に、あっと言う間だった。

今回の決定に伴い、スタッフの一部も譲渡した仕事とともに移動する。
私の横にあったいくつかの机やパソコン、そして書籍などもすでに移動を終わっている。
あの23年前と同じように、再び、搬送作業が行われているのが不思議だ。
昔は、私一人だけでやったけれど、今は、私の出張中に何もかもが進んでいく。

スタッフを含めた協力者により、懸案は滞りなく終了しそうだ。
スムーズにすべてが進んだのは、そうした協力者のお陰である。

そして新しいスタートである。
それなりにキャッシュフローを稼いでいた事業を売却した。
別に東芝みたいに困っているわけではないし、私の望みは売却事業の存続なので、時価よりかなり安く売った(もちろん、購入者の貢献度も計算に入っている)。
そんなわけで、金銭的なお得は何もないので、気分は勝手に頑張りたくなる。これは資本主義下に生まれた者の性なんだろうな・・・・・・・・。

まずは、23年間に、ありがとーと頭を下げて、これから作っていくものに、こんにちはーと言っておこう。
時は流れている。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2017/01/05(木) 08:38

メールが溜まっている

メールを溜めたことなど過去にはなかったけれど、現在、メールが溜まっている。

どうでもいいメールは、「はい」とか「OK」でいい。
部下からのメールのほとんども「はい」「OK」でいい。

ところが、少しメンドーなものは、当然のことだけど、考えて返信しなくてはならない。
そういうメールは普通滅多にない。
せいぜい部下が言ってくるい事で、30回に1回くらい、「んーー、どうなの?」というのがあるくらいである。
また、そういう部下のメールは、こっちの脳みそを稼働させる”きっかけ”にもなっていて、いわゆる仕事の流れみたいなものである。

そして、まー、そんなルーチンなメールのやり取りで日々は過ぎる。
以上終わり・・である。
日常的風景を超えくるメールは、1年に一本。いやいや2年に1本くらいだろう。
それが、数本、連続で来たというのがコトの真相・・というと大げさだが、現在の状況である。

このブログを書く程度の気楽さで、あーでもない、こーでもない・・と書けるものならいいけれど、目の前の仕事の山にも追われつつ、昨年からそのままになっている。

さて、いつ返信できるのか?
できたら、今日せねばなるまいな・・・・・。

今年って、どうなっちゃんだろう・・って予感の景色は、こういうところに垣間見られたりする。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2017/01/04(水) 08:34

雪が降らぬことと祈りつつ、また新年・・

あけましておめでとうございます。・・と書いてはじめねばならぬ慣習に少し辟易しつつ・・・・、
あれ?
でも、「あけましておめでとうございます」という言葉を今年はまだ口にしていなかった・・ということに気づいた。
「昨年もお世話になりました」系は言ってたけど、「「あけましておめでとうございます」は言ってないな・・。
潜在的に、おめでたくはないことが意識されているのかも・・?

だいたい、私はこの日(いわゆる、仕事始め)が来るのを恐れていた。
今年ほど、土日が重なったことを恨めしく思ったこともない。
ほぼほぼ、ゆっくりもできぬまま、休みは終わり。
後は、山のような仕事のノルマをこなすだけ・・・・・・。

暮に、大きな意思決定をした。
その後始末で今月はさらに忙しい。
そして、そのために、いろいろと出かけなくてはならないので、雪は降ってほしくない。
もう、祈るしかないけれど、雪だけはご勘弁である。

さて、洗面器にはなみなみと水が入っているようなので、顔を入れますか・・。
潜水~。

【苦しめTAROお仕事LIVE】

2016/12/29(木) 11:59

年末のまとめ③みたいな文書だ・・。当然、明日は続かない。

本日は、恒例、『年末放談』
そして、1月3日までお休みだ。

『年末放談』はいつからはじめたのか忘れた。
今考えると、妙なことをはじめたものである。
どうして、こんなのことをはじめたのかは、まったく記憶にない。
最初は、セカンドライフのバーチャル空間でやっていたらか、単にバーチャル空間で遊びたかったからかもしれない(おそらく、そうだろう)。

今年は、昨年までの『ニコニコ動画』から『youtube』に移動。
ニコニコのように画面に言葉が流れないのは寂しいけれど、チャット機能はあるあるらしいので、ご自由にご利用下さい。

そういうわけで、大した理由もなくはじめた『年末放談』だが、スタッフが準備をはじめると、事務所全体に年末らしい空気が急に流れはじめる。
そして、適当とはいうものの、開始数分前には、緊張感が走る。

はじまってみると、あっという間。
いつも時間オーバを謝り、最後に、「今年もありがとうございました・・」と画面の向こうのみなさまにご挨拶をする。
そして、なんとも言えない感謝の気持ちがこみ上げてくる。

そういうわけで、いつのまにか大事な儀式になっていたりする。

世の中には、物語論を滔々と語る人たちがいる。
気持ちはわかる。人は、物語に弱い。
いやいや、言い方を変えよう。弱い人間は物語が好きだ。だから、物語の利用は有効だ(強い人間なんていないからね・・)

私は物語が嫌いだ。
これも言い方を変えよう。私は物語に用心している。
だから、物語を語る人を信用しない。
私にとって、世界は詐欺師だらけ・・ということになる。

儀式は好きだ。とても信用している。
儀式の中にも物語は発見できる。儀式から物語を語ることも可能だ。
しかし、その物語は、脱物語の装置である。

ところで、昨日、歴史を刻むことについて書いた。
歴史は物語ではないのか・・?という疑問が浮かぶ。
もちろん、歴史は語れば物語だ。ただし、短編小説(エッセイに近い)の集まり。
学者は、歴史を大きな物語として語ろうとするが、それは病のように思える。弱い人間が物語を好むことに通じる不安の裏返しを感じる。

私たちにできることは、短編小説と脱物語。
壮大な物語など幻想である。
そして、私がもっとも拒否したいものはそこにある。

冒険して、歴史を刻んで、脱物語する・・。
そんなホップ・ステップ・ジャンプを来年以降もやれたらいいと思う。

みなさま、今年も大変お世話になりました。
個人ごとですが、年を重ねれば重ねるほどに、何もかもが面白くなってきています。
そして、55歳になった今、さらに面白くなりそうな状況に歓喜しつつ、それに反して時間の経過の速さに嘆き、身体の衰えに天を仰いでいます。まー、世の中、ままならないものです。きっと、それでいい。だから、さらに面白いのだと思います。
来年もよろしくお願いいたします。

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