【苦しめTAROお仕事LIVE】

2010/10/20(水) 05:42

ブータンより帰還

ブータンより帰って参りました。

GNH(国民総幸福量)を高らかにうたいあげるブータンは
どんなところ?という興味からのブータン行き。

確かに、まったく違う価値観、世界観の国でしたが、
歴史で見るところの中世ヨーロッパに近いかもしれません。

とりあえずは、日本に帰ってきて、冷たいビールがうれしいし、
トイレはきれいだし、コーヒーもうまい。道もきれいで、お湯も出る。
停電もなければ、メシもうまい・・ということで、
幸福を図るのは難しいと感じていますが、

現地ブータン人が、幸せな気分にいるのも事実で、
ウツの人多数の文明国ってのは、SF世界のような気がしてきます。

おそらく、答えは、どちらの国にもなく。
それぞれはそれぞれに病気でしょうが、
現在、貧しくても幸福な国民が多い、ブータン方に利があるのも事実でしょう。

ブータン人がどうして幸せなのかは明確です。
宗教のおかげです。

宗教によって、欲望のコントロールができているというわけですね。
日本の新興宗教は、欲望を食い物にして入信をすすめるから、同じ宗教でも対照的ですね。

つまり、結論を言ってしまえば、
欲望ということを、どうさばくかにかかっているということでしょう。
何て、当たり前な答えなのでしょう。

それを、ブータンは、うまくやっているかはわからないけど、
確信的にやっているな~って思いました。

そろそろ、欲望をエネルギーにする時代は終わりなのかもしれませんね。
中世から近代に転換して今があるわけですけど、歴史の流れは、次の流れに足を突っ込んでいるかも?

後は、マンスリーCDで語らせてもらいます。

「ブータンより帰還」へのコメント(2件)
  1. 今回は、とても素晴らしい、そして、刺激的な内容で、感銘しました。
    欲望をエネルギーにする時代の、別の表現は、青年期でしょうかね。
    それにつけても連想するのが、佐藤一斎の「言志四録(げんししろく)」の一節。
    憤の一字は、是てれ進学の機関なり。舜何人ぞや、予何人ぞやとは、方に是れ憤なり
    心に発憤するという意味の憤の一字は、人が学問に進んでいくための最も必要な道具ともいえる。かの願回(孔子の高弟)が「(古代中国の神話的な皇帝である)舜といえども、この私と同じ人間であり、大志を抱いて励むならば、舜の如き人物になれるぞ」といったことは、まさしく憤ということである。
    簡単に言えば、ライバルに負けてなるものか、と頑張るれば、成果を上げることができる、というのだが、しかし、これは青年期まで。
    むしろ、人生で長い期間になるのは中年期。そこでは、負けるものか、という自我肥大欲望を抑制することで、より一層の成長・成果が得られるだろう。
    当然、それは、青年期のそれとは質は異なるが。
    ・・・と考えてしまいました。

  2. マトリックスの中にいるほうが幸せと思う人間もいれば、マトリックスの外にいるほうが幸せと思う人間もおり。ということかと。
    「国民総幸福量」と表現すると、一瞬、同じ軸で定量的に比較できそうな錯覚に陥りますが、幸せをgで表現する人もいれば、kmで表現する人もいるので、結局「他人は他人、自分は自分」と割り切れるかどうかでしょう。

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