【TAROの日記】

2017/06/16(金) 08:55

砂遊び

今週一週間は、机の前でずーーと仕事をした(今日もする)。

そして、それが、とても珍しいことであったことを知った。           考えてみれば、仕事をはじめてから今日まで、現場にいる方が圧倒的に長かったわけで、それに今日まで気づかなかった方がおかしい。でも、自分では、机の前にいることが多いと思っていた。

それにしても今週は異常だった。あまりにも大量にたまった仕事。これが今も片付いていない。嫌になっちゃう・・。それもただ馬車馬に処理すればいいというものでもなく、アイデアも枯渇していくし、現在、非常にヤバイ状況にある(あった)。

さらに、来週の『VIPミーティング』の用意もある。昨日なんとか資料の作成は終了したけど、今までで一番追われたのは間違いない。大雑把な構想は、昨年の暮にできていて、それなりに準備は進めていたけど、いやはや最後は大変なことになった・・。

ただ、出口は見えた。本日、朝、最後のアイデアが降ってきた。降ってきてしまえばこっちのもの。昨日までの苦しみがウソみたい。後は、形にするだけだ。

結局、この出口の扉が開く瞬間がたまらなくて、無茶を続ける。子供の時に、砂場で山を作ってトンネル掘っているのとあんまりかわらない。

ゆーちゃんの家の砂場は思い出すな~。もう砂場も、よく登ったイチジクの木もないし、遠くに見えた”いづも屋”もないけれど、まったく何も変わっていないらしい。

【TAROの日記】

2017/06/15(木) 08:57

原理主義

デジタルにはいつも悩まされている。悩みは尽きないので、ここでは詳しく書かないが、個人的な悩みの多くは、デジタルから発してると感じだ。便利だけど、生活の領域に入り込みすぎているのだと思う。

しかし、ありがたいこともある。                       映画の4Kデジタルによる復元だ。もう見れないと諦めていた映画が、見れてしまうのだからたまらない。

復元というのは、デジタルの仕事の中でも重要な位置にある。しかし、これはこれで悩みが尽きない。必ず誰かの意図が入ってしまうから、オリジナル原理主義者には受け入れがたい時があるからだ。

おそらく、私はオリジナル原理主義者に近い。今、某メーカーから発売された最新の機械にクラクラしている最中だが、私はこの機械を新品で買うことはない。今回も大いに悩んだが、やめた。

とても強力な機能。とても便利。それは認めざるをえないけど、やっぱり本物にはかなわないはずだ。

原理主義は嫌いだ。個人的にはいつも柔軟でいたい。でも、何でもかんでも柔軟・・・っていうのもね。ツマラナイなーと思う。それに楽じゃない方が圧倒的に面白い。

そして、こういう奴らがそれなりの数でいるから、デジタルの絶対的な勝利の日は来ない。さらに、デジタルの外の世界だけが、ジェネリック戦略の場だもんね。

 

【TAROの日記】

2017/06/13(火) 08:50

溝口健二

来月中旬から、横浜の映画館で溝口健二の作品が一挙に上映される。恵比寿ガーデンシネマでの特集が10年以上も前になるから久しぶりである。昨年のカンヌで、『雨月物語』の4Kデジタル復刻版が上映されたらしいが、その流れだろう。

『雨月物語』の復刻版か・・・。涎がでてしまうな~。

最近、長回しを多用する映画が多いと感じている。しかい、感心できないものが多い。2年前に封切られたワンカットを売り物にしたアメリカ映画なんてサイテーだった。

同時に、『デゲレオタイプの女』のような溝口オマージュと思われる映画があったりもして、溝口の再映は旬だ。

一時、日本映画は、アート・デザイン系(・・とでも言ったらいいのか?)のニワカ監督がつまらない絵を撮っているものが目立った。大きな画面の前で「あーあ」って思ったものである(最近、見ないな・・。どこに行った? 単にこっちが避けているだけか)。あの時のシコリも十分に残っている感じなので、なんとか時間を作って見に行きたいものである。

最近。台湾ヌーベルバーグやネオ・リアリズモ、そしてヌーベルバーグの作品群が所々で再映されている大きな理由は、4Kデジタルのおかげだろう。これから当分楽しめそうだ。

 

【TAROの日記】

2017/06/12(月) 08:49

何かが足りない

先週、怖いもの見たさで、ブルースブラザースのライブを見た。         オリジナル・メンバーが一人しか残っていないバンドなので、何の期待もない・・というか、どうせダメだろーと思って見に行った。

そして、こちらの予測どおり・・・・・・。                  みんな上手なミュージシャンなのに、不思議だ。下手なアマチュアが中途半端に上手くなると急激につまらなくなるけど、あれに近い。

しかし、会場はとても盛り上がっている。私たちは、その盛り上がっている会場に、無性に腹が立ち、お酒の量は相当なものになった。つまり、どういうわけか、それなりに違う理由で盛り上がった・・とは言える。

昔、斑尾のジャズフェスティバルが行われていた時、出演する一流ジャズミュージシャンの腑抜けな演奏に怒りながらも毎年のように行っていた。あれも、凄く上手いのに何かが足りなかったのを思い出す。

直近のライブでは、トータスとティグラン・ハマシアンが素晴らしかった。どっちも、何かがあるのだ。テクニックがどうのこうの・・というライブではなく、しかし、テクニックはもちろん凄くて、でも、そんなことはどうでもよい・・という感じの”熱”である。

そういえば、先週、銀座の有名寿司屋に行った。美味かった。でも、”熱”がなかった。先月食べたフレンチが”熱”のカタマリだったから、なおさらもの足りなさを感じた。食べている時、中目黒で、食べた12,000円予算の寿司を思い出していた。30代らしき若者の握る寿司は無骨だけど、なんか良かったんだよな・・。

坂本龍一の新譜には、”熱”がある。             ・・って書いたら、”魂”という言葉のほうが相応しいと思った。

人の仕事に、ケチをつけるのは簡単だけど、非常に自己が問われる一大問題だ。

【TAROの日記】

2017/06/02(金) 08:55

寿司

最近、東京の寿司屋にハマっている。カウンターだけ、テーブルがあっても1つくらいという小さな寿司屋で、どうも流行りらしく、いろいろ○○系というのがあるらしい。

もう10年くらい前になるけれど、あの『すきやばし次郎』に2度行った。そして、驚愕した記憶がある。最初に出たコハダを口に入れた時に浮かんだことは、「今まで食べていたモノは、寿司ではなかったのか・・」ということと、父が子供の私に言い続けた「寿司はシャリだ」という言葉だった。

2度目の訪問の時には、さらに驚いた。二郎さんから息子さんにバトンタッチすると、驚愕の寿司が普通の寿司になってしまったのだ。良い材料を使っているから旨いのだけど、息子さんの握る寿司はとても平凡だった。

その経験が最近になって発火したのか、一人でフラフラと寿司屋を訪ねるようになった。今のところ、驚愕の寿司屋には出会えていないけれど、それぞれ個性があって面白い。流行るわけである。

流行っているせいもあって価格はけっこう高い。最近は、寿司屋で一人15,000円くらいだと「安い!」と言うようになってしまった。これは異常だと思う。今、「すきやばし次郎」は6万円くらいするそうだけど、10年前には、23,000円で「たけーーーー」と言った記憶がある。今の感覚だと、あの寿司が23,000円は安い。

この間行ったミシュラン3星の寿司屋はダメだった。旨いけれど、価格と合っていない。私が通う寿司屋では15,000円くらいで食べられる。私のバカ舌では違いがわからないのかもしれないけれど、倍以上の価格差となると、自分のせいだけにはしておけない。

 

人の感覚は、ちょっとしたことで変わる。脳の中の優先順位の小さな変換がそれを起こす。今、東京では、それなりに美味しい高い寿司屋がたくさんある。予約の取れないところが多くて今のところ過剰感はない。でも、これはいつまで続くのだろうか?ある面、芸風にはそろそろ過剰感が出ているような・・。

常連がのさばっていて、行きたくても行けない寿司屋がある(常連ってどこでもそうなのか、かなりうるさい)。でも、最後は、こういう寿司屋が勝ってしまうのかもしれないなーと思いながら、来週行く有名寿司店が楽しみで仕方がない・・。

 

2017年6月
« 5月    
 1234
567891011
12131415161718
19202122232425
2627282930  
ページトップヘ